株式会社中野本舗

薄墨羊羹の歴史

天武天皇と薄墨桜の伝説

今から千年もの昔、天武天皇が四国・道後を訪れた際、皇后が病気にかかり、松山市の西法寺にて病気平癒の祈願をされたところ、たちまち回復されました。その御礼として、天皇から薄墨の綸旨と一本の桜の木を賜りました。この桜が「薄墨桜」として伝えられ、現在も松山の象徴として愛されております。
この「薄墨桜」の由来にちなんで、薄墨羊羹は松山の名菓として誕生しました。薄墨桜の優雅な美しさと静けさを表現したこの羊羹は、松山の風土や文化を色濃く反映し、地元の人々に親しまれてきました。

戦後の復興と薄墨羊羹の誕生

薄墨羊羹の誕生については、昭和二十年の松山空襲で詳細が焼失してしまったため不明な点が多いものの、第六代当主中野英幸によって復興されました。復興に際して、薄墨羊羹はその伝統を引き継ぎ、かつ新たな命を吹き込まれました。歴史的な資料によると、薄墨羊羹は江戸時代に遡るとされています。その後、薄墨羊羹は地元を代表する和菓子として広まりました。

受賞歴と全国的な名声

薄墨羊羹はその美味しさと品質の高さから、多くの賞を受賞しています。特に、大正八年に開催された全国菓子大博覧会では、当時最高の名誉大賞牌を受賞し、昭和五十二年には新設された最高賞である名誉総裁高松宮賞を第一回で受賞しました。また、昭和五十年に行われた全国羊羹品評会では最高の「全日本賞」を受賞するなど、数々の栄誉を誇ります。
これらの受賞歴は、薄墨羊羹が単なる和菓子ではなく、全国屈指の銘菓として名声を博していることを証明しています。また、薄墨羊羹は松山のみならず、全国各地で愛され続けており、その歴史と品質は今もなお、進化を続けています。

未来への展望

現在、薄墨羊羹はその伝統を守りつつ、新たな挑戦に取り組んでいます。次世代のために、品質管理の徹底と新商品の開発に力を入れております。薄墨羊羹は、これからも松山の誇りとして、国内外のお客様に愛される和菓子であり続けることを目指しています。